静観
朝晩の寒さが体にこたえる今日この頃です。駅のホームで見る朝焼けは美しく、橙色が空に立ち昇るさまに、東京で2番目に美しい季節である冬がやってきたことを感じます。初日はどこでみようか、初詣は何時ごろにしようか、など、当たり前の年始イベントを楽しみにするのもまさに今の時期になります。そういえば今年の正月は、初めて高幡不動尊に行きましたが、お蕎麦がとても美味しかったです。
世の中は平穏で落ち着いており、普段の生活は変わっていないように思います。これでよいと感じています。まだまだ、種火は消えておらず、ちょっとしたきっかけで再燃するのは明らかです。明治維新のころ、今でいう野党化した一部の武士勢力が、日本各地で乱を起こしました。大きな変革期においては、このようなことは起こりがちであり、反動という言葉で表現するのが適切かもしれません。
しかし、今は令和の時代、そんな動きには「何をやっているのか」と、何をそんなに興奮しているのかと、心底思います。国民はそんなことを期待していない。100年に一人の逸材と言われた安倍晋三氏も、石原慎太郎氏も、稲盛和夫氏も、そして渡辺恒雄氏も、もういない。政治に興味がなくなっている人が増え続けているのは、政権争いを当たり前のように繰りかえす姿に対して、令和の時代においてはきわめて違和感があるからです。懲りる事なく昭和の時代と同様のことを繰り返そうとする世界にあきれているからなのです。ほかにやることあるでしょうと。
例えば日本を代表する大手企業や業界団体が、頻繁に権力争いを繰り返していたら、そんな企業や団体のものを買おうとする人や、社員は、企業から離れていくでしょう。当たり前のことです。気に入らなければ遠慮なく喧嘩すれば良いという姿勢は、決まった事に対しては従うべきだとするこれまでの指示に反することで、ここには大きな矛盾を感じますし、当時の執行部の構成員だった方が争いを求めているとしたら、自らの責任はどうとられたのか、きちんと発してもらわなければ、納得できない。そんなことをみなわかっているから離れているのです。
穏やかな状況を作るのは本当に大変なことだと、その努力に心から感謝申し上げたいと思います。
いつの間にかコロナから5年経ちました。コロナ明けからは2年ほどたったのでしょうか。私の場合外に出て活動することはほぼ皆無となり、自らの人生を振り返っても、こんなにのんびりしたのは初めてでした。むろんこの時期に何か積極的に活動しようなどと考えたことはほとんどなく、早朝から仕事をし、早めに寝ることが意外に心地よい生活で、その繰り返しでした。
ただそんな生活に多少飽きてきた昨今といったところでしょうか。外に出ることを少しだけ心がけていますが、残念ながらあまり興味を持てるようなことがありません。というのも、世の中が大きく変わることは、向こう数十年ないのではないかと思っているからです。
唯一興味があるのは、農業政策や地方創生や、技術革新です。これらの変化度合いによっては、人々の生活は激変するのではないかと考えています。
来年はウクライナ戦争も停戦になりそうです。エネルギー価格は落ち着いてくるのでしょうが、その結果、世界中のインフレは多少鎮静化するのかもしれず、一強のアメリカやその影響を大きく受ける日本の経済状況がどのように変化していくのかが、短期的には大変興味深いところです。
(久しぶりに吉祥寺に行きました)