プリの乱7

 プリゴジン氏が暗殺されたとのこと。昨日はアフリカにいるということで、その存在意義(の予想)について識者の方々がコメントされていましたが、やはり邪魔者として使い捨てたということなのでしょうか。

 この暗殺?がウクライナ戦争に及ぼす影響について、注視していきたいと思います。

 今月は「断捨離」をしています。気持ちいいものです。
 大学院当時の資料は、そのまま、キャビネットに積み重ねられていて、ほこりだらけになっていました。また、今の場所に事務所を引っ越してから、自分の部屋はほぼ整理されていない状態でしたので、古いセミナー資料などが、無造作に置かれていました。
 税理士試験の合格証書も出てきました。H11年12月15日付のものです。1999年に合格したということは、1989年に税理士になると決めて10年、予定通りに合格できた、ことを久しぶりに思い出しました。

 10年のうち、最初の1年は何もせず、その後の3年は実務及び簿記の勉強、そして残りの6年で税理士試験の受験をし、合格したわけなのですが、勉学に専念していたわけではなく、一人暮らしで働きながらの勉強、親からの資金援助も一切なかったので、今はもうできないほどの体力を使って、多くの人の助けがあって合格できたことは言うまでもありません。特に、当時働かせてもらっていた環境が良かったのでしょう、結果重視の職場で、細かいことは言われませんでした。これは、事務所の方針であったことと、試験を考慮してのことだったと思います。

 試験については、合格しようがしまいが放置でした。唯一、5年目で合格できなかった時に「5年もかけて合格できなかったか」と一言、悲しそうな顔をされたのを覚えています。他に、私の受験に興味を持たれたことは、記憶にありませんので、私の性格をよくわかっており、お仕着せや、強引な手法で、仕事や試験勉強をさせなかった、それができた事務所だったのではないかと思います。もっとも、この修行先に就職する際に「この人は無理強いする人ではない」と自ら判断し、他の事務所を断って選ぶ、選択ができた、当時まだ20代前半だった私を、褒めてもやりたいのですが。
 ただ仕事となると、いろんなことを言いたくて仕方がなかったのか、嫌みを言われた記憶は数知れずですが、それでもよく、当時の私に我慢して、私を信じて、放置して、税理士へと導いてくれたものだと思います。

 税理士としての基本はこの事務所にあり、
 ①税務・会計の専門家であるからこそ、細かさの限界を知っていること(やりすぎは良くない)
 ②報酬あっての税理士事務所であること(高いくらいの報酬の方が、お互いに良好な関係が保てる)
 ③自分の頭で考え、自分で最後まで行うべし(一身独立して、の考え方)
などを学ぶことができたと思います。

 業界での経験は30年を超えていますが、奥深い世界であり、いまだに多くの方に教えてもらいながらですが、無理せず、あせらず騒がず、淡々と、自分のできる範囲で、本業以外も含め、少しづつ前に進んでいきたいと思います。

 日本は幸いにして平和であり、政権は安定しております。
 目下の状況を考えると、政権の安定が何よりであり、そうでなければ、不安定な周辺諸国から、突っ込まれどころ満載となってしまい、何をされるか分かりません。

 頑張れ日本!