プリの乱



プリの乱が勃発しました。歴史を見ると、内部から崩壊し戦争終結へつながった例は多くあるようです。ゼロ次大戦の際に、ロシア革命への扇動工作が行われたことは良く知られています。

私が着目したのは、プーチン氏とメドベージェフ氏が、とっととモスクワ郊外へ避難したとの報道でした。事実なら、やはりこの程度のことだったのかと、思わざるを得ません。ウクライナ戦争が勃発してまもないころ、まだ弾が飛び交う戦況の中、各国首脳がお忍びで前線へ訪問したことを考えると、ロシアのこの戦争に対する意気込みのなさ、大義のなさは明らかです。
戦争の終結は、内部からの崩壊に期待するのが、最もよいかも知れない、などと素人ながら考えております。


目を転じて考えると、組織もそうで、トップが、都合が悪くなるとどこかに雲隠れしたり、あるいは普段から前線に出て旗を振ることもないところなどあったりします。


戦争は、軍隊が行うものではなく、政治が行うものであって、という軍事専門家の意見を耳にしましたが、まさにその通りであって、これは組織においても言えることではないでしょうか。トップが政治的な動きすらできず、意思決定もままならず、「あと俺は何年で任期満了だから、それまで大過なくやりたい。ちょっと雲隠れ」などといったことでは、現場は混乱し、士気は低下し、といったことになると思います。

日本は長らく平和が続き、平和ボケしていると言われています。その結果、国防に関する意識が低下し、軍事関係の知見を、企業経営など、より国益につながることに活かすことができていないことがあるかも知れません。

旧日本軍出身者で、後、経済界や政府で活躍された方は多く、戦争経験から学べた知見はもっとあったはずです。
「戦はダメ」という、ざっくりとした、観念論的な思い込みに起因する全否定的な思考は捨て、優れた知見は、現代においても、様々な分野で活かすことができるよう、研究・開発を進めるべきではないかと思います。
病気になって、自分の体を大切にする思考が生まれ、生活習慣を見直すことにつながったり、医学が進歩したりするのと、似た性質のものかもしれません。

また、戦は、人が本来持つ暴力性に起因して勃発します。

人間の本質めいたものに、真正面から向き合うことは大切なことです。

不謹慎ながら、良い教科書だと思い、この戦争に注目していきたいと思います。



頑張れ日本。