道はない、でも前に進まなければならない

週末、郊外に家族旅行してきました。
紅葉も始まりました。過ごしやすい季節になり、窓を開けたまま寝るのがこの時期の楽しみでもあります。十分満喫できました。



旅行を1日早めに切り上げ、昨日はテレビで国葬を見ました。

首都高に車が走っていない様子を久しぶりに見た気がします(大震災の時はどうだったでしょうか)。この式にかける強い意気込みを感じました。

朝から献花に訪れる人たちの、長蛇の列。思った通りでした。
以前からずっと考えていましたが、世論調査の信憑性・公平性に対し、改めて疑問を持ちました。

例えば、各地で開催されている航空祭に行くと、日本人の多くが、国防に対し、大いに興味を持っていることを肌で実感できます。世論調査においては、このような現場重視の調査をしているのでしょうか。
ネット等で言葉を拾いだし、世論の動向を推測する調査手法などがあるようです。世論の推移等や、単純な理由、興味のある用語などを捕捉することは可能かもしれません。
しかし世論の本質とはかけ離れているような気がします。
先日参加した勉強会で学びました。情報には収集者の意図が反映されるものだとされています。
人は見たいように事実を見るようです。

また、電話等の世論調査は、古くからおこなわれているものですが、紋切り型で、安直な手法ではないかと考えます。
大多数の国民は、普段、政治を意識して暮らしていません。そんな中、突然、イエスかノーかといった形で、国葬などという、50年に一度起きるかどうかという極めて身近ではない質問をされたところで、情緒的・感覚的に回答する人がほとんどだと思います。コメンテーターが、よくわからないことに対して言葉を濁したりするのと似たようなものかもしれません(コメンテーター批判ではありません。事実を言っております)。
私もそんな調査が来たら、とりあえず、否定的に答えるかも知れません。

このような結果、国葬反対の調査結果となったと信じます。



国葬はとても良かったと思います。
日本らしい、質素で謙虚な式でした。
感動的だったことは多々ありました。
画面の前で涙しました。

中でも、主張は異なれど堂々と参席されたかたがおられたこと。大変立派な生き様だと思いました。
また、自分の言葉で話すことが何よりも大切だと思いました。



ただ残念なことに、舌の根が乾かないうちとはまさにこのことを言うのかと言わんばかりの勢いで、昨夜から否定的な報道がされています。

私は、現実的な終着点として、とある有識者の
「国会の意見を聞くのか、承認を取るのかいずれかにすべき」
といった意見が、最も腹落ちしております。

決め方が拙速だった点は否めません。しかし、あんなに衝撃的な事件だったわけです。
仕方がないかも知れません。皆、冷静でいられましたか。
国民の権利を大きく侵害したわけでもありません。
そろそろこの問題を長引かせることの現実的なデメリットを、反対する方々は考えてほしい。
因果応報、明日は我が身です。


最近参加したとある勉強会のサブタイトルに、
「道はない、でも前に進まなければならない」
とありました。

本気で前に進んでいかなければならない時期が訪れたようです。
覚悟を決め、道を切り開いていってほしい。