国葬について
9月に入り、台風が頻発しています。同時に、気温が少しずつ下がり、過ごしやすくなってきています。東京の夏は短く、夏が好きな私は、まだまだ暑い日が続いてほしいと思っています。
国葬について批判的な意見が出されています。
国民の多数が反対していると言われています。
このような意見が出されるたびに、日本は平和だなあ、と思うのと同時に、議論の本質をよく理解しないまま、識者から批判的な意見がだされているのではと感じ、若干の危機感を覚えております。
近年国家元首の国葬が行われたのは、55年前のこと。随分昔のことです。
久しぶりのこととなりました。
考えてみると、50年くらいのサイクルで行われるような、極めてまれな出来事について、賛成か反対か などと聞かれ、確固たる信念をもって、これにこたえられる国民などいようはずはありません。
だから国民の多くは、どちらかというと反対なのです。
これが本質です。
よくわからないから反対なのです。
識者たちの中には、具体的に法制化すべきという人がいます。しかし、具体的にどんな功績をあげた場合に国葬とする、など決められるのでしょうか(法制化すべきという人は、自分の時間とお金を使い、現行法よりいい条文案をだし、ライフワークとして、必ず最後まで取り組んでほしい)。
具体的な法制化は厳しいかな、となり、国民への説明が足りない、国会で決議すべき、別の形で行うべき、などという、手続瑕疵論的な話に、意見は推移してきています。
人の弔事に際して、不謹慎・不思議な議論が、ずるずると展開されている気がしてなりません。
国民には説明がありました。
国会決議が必要でないことは現行法を根拠としていることで明らかです。
別の形で葬儀をすることが、国葬という形でやるより、国民全体の利益になることなのでしょうか。日本の国益にかなうことになるのでしょうか。
海外諸国から馬鹿にされます。
日本大丈夫ですか、ぐらぐらしていませんか?と。
国葬は明治以来、国家に対する功績者に対して行われ、それほど多くは行われてこなかったようです。この時代は、日本が戦争を行っていた時代とも重なることから、なんとなく、軍国主義的なイメージを持ちがちであり、軍国主義的なプロパガンダに踊らされてしまいたくない、だから反対している、あくまでも根拠なくなんとなくではありますが、そんな側面もあるのではないかと思います。
顔写真が大きく飾られている風景は、どことなく昭和、特に戦前の香りがします。
印象の問題かもしれません。
でも、お葬式の時には、このような光景がみられるのが、一般的な日本の文化です。
また、軍国主義などとんでもない。
現在、日本は戦争にならないために、必死に防衛力を強化している最中だというのに。
安倍晋三さんがお亡くなりになった直後の国民感情を大切にすべきです。
これが、日本国民の、素直な、最も尊重すべきものだと考えます。
とても衝撃的な出来事でした。令和の世にこんなことが起きるなど、あり得ないほどの出来事でした。
後から冷静に考えるとやめたほうがいい、などといった意見は、のんびり平和な日本だから言えることなのかも知れません。
日本頑張れ。