侮辱罪の厳罰化

WEB上の誹謗中傷対策として「侮辱罪」を厳罰化する改正刑法が成立しました。私はブログを書いています。特定の個人を名指しして書かない、書くとしても事実を書き、侮辱しないよう注意しています。

インターネットが普及しはじめた20年位前、とあるサイトの掲示板で主催者とちょっとした論争になり、私の意見と主催者の意見に割れ、議論が収束しないことがありました。最終的には問答無用で私側の参加者が全て排除されたのですが、難しい世界だなと思い、その後この手のツールには近づかないよう注意しています。

TwitterやFacebookでの晒しや、最近はメーリングリストを使った誹謗的さらしなども目にしました。意外に身近に、この手の教養がない方がいることを感じています。私はそのような世界には近づかないようにしています。

 

社会的な立場が高い人の、発言の一部を切り取り非難する行為は、相変わらず続いています。以前石原慎太郎さんの発信力が天才的である旨書きましたが、彼は例外だったと思います。
発言の本質を無視し、言葉尻をとらえて非難する風潮に対してブレーキが効かなくなる社会は、自己責任で発信する人の、発言の自由を阻害しているように感じます。このような行為は、人が本来もつ気質や性格の良い面に悪影響を与えることにならないのかと心配すら覚えます。

その人のことを良く知らないのに、軽々に言うものだな、と思います。

 

10年くらい前のことですが、ある企業の経営者が書いたブログに、パワハラでうつ病になった社員を、さらに追い討ちするかのごとく晒したものを見たことがあります。さすがにこれはアウトだろうと当時思いましたが、今なら大問題になるでしょう。私世代以上の人はこういう環境に育っています。ですから若い人だけの問題ではありません。むしろ私たち世代が注意すべきことかも知れません。

 

メールやメッセンジャー等で相手と一対一で行うやり取りは、当事者間の問題であり、面談での会話がメール等での会話におき変わり、消す事ができないことによるリスクが残るだけです。場合によっては、将来その消せないメールが問題になるリスクが残りますが、基本的には、これは当事者間の問題で終わります。

一対一のメールで他の人を誹謗したところで、その誹謗が、当事者以外の人に伝わる可能性を折り込み済みで、メールした人が責任を持って誹謗していれば問題はない。ただの誹謗や陰口ともいえる発言が、他に広がるリスクが残るだけです。

あえて誹謗が伝わることを想定して(伝えてほしいと考えて)誹謗メールをする人もいるわけで、この点メールは、意思疎通のツールとして、記録に残る、より強いインパクトを与えるものとして、幅を広げるものとも言えます。

しかし一対一ではなく、参加者が多数になり、かつ、よくその人やその状況を知らない人が、勝手に、裁くかのようにその人のことを書くのは、ルール違反だと思います。
状況は複雑化しやすくなります。書く前に、書いた後の影響は想定しにくく、発言がどのように展開していくかわかりません。また、発言者は多数の中の1人に埋没し、発言に対して責任を問われる可能性が低くなるからです。責任を問われる可能性が少ないことをいいことに、炎上する方向に誘導することもできます。

ここまで行くとオフバランスな世界です(だから私は近づかないのです)。

嫌なことを言われたとしても、多くはそのうち忘れますが、書かれて記録に残るとそうはいかない。忘れたくても忘れられないものが残ってしまいます。

だったら書くな、は極論で無理な相談です。SNSはコミュニケーションツールとして定着しています。日本は成熟社会ですから、一定のルールやマナー(教養)が必要なだけだと思います。
自殺者が出ているのですから。

 

このような書き込みは、視点を変えると、友達になりたい、とか憧れややっかみ、嫉妬が背景にあるのかもしれません。
勝手な、同質性を求めるあまりの行為かも知れません。

みなもっと外にでて、違う世界に目を向け、馬鹿騒ぎして、ストレスを自分なりに解消して欲しい。真面目すぎはよくない。

行き過ぎの他人志向は、人生を困難にします。

 

君子危うきに近寄らず。

いい言葉だと感じています。