恵まれた世代
考えてみると、私の父も、祖父も、曽祖父も、戦争時代を経験しています。私は戦争の経験はありません。私たちの世代は、歴史の中では例外なのかもしれません、、という話を知り合いとしました。
コロナとの戦いは始まったばかりで、まだ半年位しか経っていません。これからどれくらいの付き合いになるか分かりませんが、私たちの世代に与えられた、普通の試練、という捉え方が適切かもしれないと思っています。そしてこの試練より先祖が経験した戦争の方が、圧倒的に大変だったはずです。この程度、負けてたまるかという強い気持ちを持たなければなりません。
戦争の場合は国が全て準備するのと引き換えに、強制的に戦地に送られます。コロナとの戦いはそうではなく、自分で考え戦うのが原則で、国はそれを手助けする戦いですが、戦争にいく方がいいかというと、そうでないのは明白です。この程度の戦いで良かったと思います。
最近、コロナとの戦い方がわかってきたので死亡者数が少ないままだという意見を耳にしましたが、全く同感です。今こそ思い切って外に出て、盾を手にして生きるのが、国民一人一人がとるべき行動ではないでしょうか。ただ大切なのは、誇るべき優秀な日本の医療従事者です。彼らが控えていて、何かあっても簡単には死なないようにしてくれると思えるからこそ、戦えます。日本は先の大戦では、相手国と比べると、命を軽視した軍備でした。零戦や一式陸攻は軽装でした。感染症対策もほとんどなく、マラリアで死ぬ人が戦死者の多くを占めました。結果、それが原因で、多くの優秀な兵士を失いました。今の時代にそんなことはあってはなりません。
盾であるマスク等は十分に支給されました。海外にひけをとりません。三密対策を知らない人はいません。第一派で、みなどこまで戦えるかを学びました。引き続き大切なのは、医療体制です。医療従事者を大切にし、医療行為を十分に行える体制を整える事が大切なことは言うまでもありません。
検査数を増やすのも大切な事です。しかしこれが根本的な解決に繋がるかは疑問です。陰性だった、と気が大きくなって、その後、盾を持つのを忘れては、逆効果です。感染した人を隔離し、それ以外の人が経済活動を行うという理屈はわかりますが、そのためには、常時、全ての国民に対し、無償で検査を受ける義務をかさなければならないのではないでしょうか。この病は、感染しやすいのですから、検査のタイミングで無感染でも、検査のあと感染し、しかも無症状ということもあります。すなわち常時検査し続けないと効果は上がりません。
そんな戦いをやっている間に、ワクチンや治療薬ができ、医療行為がさらに進歩して、インフルエンザのような対処ですむようになっているかもしれません。やはり、本質的には、死亡者を増やさない対策がもっとも大切で、感染の有無を確認する行為は劣後すると考えます。発症させない事、重症化させない事、死亡させない事を最優先にすべきです。それすなわち国民の強い自助努力と、高度な医療提供体制です。
国ははっきりしない、もっとはっきりやるべき事を言ってくれという意見もありますが、病というのはわからない事だらけであるのが当たり前です。しかもまだ半年の付き合いです。だからはっきりしたことを言えないのであって、また、はっきり言ったとしてもそれが解決につながるとは限らない。これが国の置かれている立場のような気がします。国側もヤキモキしているのです。
でははっきりすることはできなのかというとそうではない。現状をはっきりいうことはできます。いまだよくわからない病だが徐々にわかってきたことがある、死亡者数は変わらない、今の状況で、国民一人一人がやるべきことはこれ、政府が出来ることはこれ、と明確に発信すべきです。ポイントを絞り、簡潔に、わかりやすく、強く伝えること。なぜ政府は何もしないのか、という言葉の裏には、何か言ってくれたら従うのに、という気持ちも込められているのですから恐れることはありません。
揶揄された、政府から支給されたマスクでしたが、その発展版である、デザイン性の高い、洗えるマスクが大量に売られ、多くの人が身につけています。先見性のある行為だったと思います。小さいと言われますが、暑い夏にはいいかもしれません。
そろそろ梅雨が明けそうです。今日は晴れそうです。