外国人
私はなぜか外国人に道を聞かれることが多いようです。隙だらけなのか、話しかけやすいのか、理由は定かでないのですが、よく道を聞かれます。
先日も代々木駅前でイタリア人らしき観光客に、明治神宮にはどう行けばいいのかと英語で話しかけられました。この道路をまっすぐ行けばつきあたりが明治神宮の入り口ですと片言の英語でこたえたところ「どれくらいかかりますか」と聞かれたので「about 5 minutes」と教えてあげました。でもその後、本当に明治神宮に行きたかったのだろうか、代々木からだと本殿には10分以上かかるので原宿駅を教えたほうがよかったのではないか、私の英語ではどのみちうまく伝えられなかったのではないか、などいろいろ考えてしまい、私が外国人に慣れていないことを自覚することになりました。それどころか、私がよく道を聞かれると思いこんでいるだけであって実際は多くの人が似たような経験をしているはず、また、聞かれることに慣れていないから特別に記憶に残っているだけではないか、さらに、私には外国人アレルギーがあるのでは、など考えたりして、どうにも気持ちが落ち着きません。
日本の企業の中には、社内で英語を使わなければならないところがあるという話はずいぶん前に聞きましたし、弊社のお客様には、英語どころか流暢なドイツ語を話す方もいます。弊社のアルバイト社員にはフランス留学していた人もいます。昨日打ち合わせしたお客様は、明日からベルギーに仕事で行かれるとのことでした。半年くらい前に楽しく会話した鹿児島のお寿司屋さんの大将は、中国人らしきお客さんと英語で普通に会話していました。そんな事を考えるとますます自信がなくなってきました。自分の人生をより居心地のよいものにするためには、まだまだ経験しなければならないことが多く残っていそうです。
こんなことに目が向いてきたところをみると、最近だいぶ疲れが取れて、リバランスできているのかも知れません。現在世の中は、おかげさまで安定しており、以前ほど大きな不満や心配を感じることはありません。目下の課題がみつからないほどです。したがってまだまだリバランスの日を続けていいと思っています。
とはいえ、事ある時のことを考え、そのための準備をしておく必要はあります。ずいぶん前に読んだ経営書にこう書いてありました。人生にはバイオリズムがあり、その波は避けられない、いい時には何もしなくてもいい状況が続くからいい。問題は悪いときである。悪い時をうまく乗り切るために、いいときにその準備をしておくべきであると。まさに金言、まったく同感です。
ところで、先ほどの外国人の話ですが、私が外国人に話しかけられやすいという話を知人にしたところ「私も最近そうなんです」と言われ、はっと気がつきました。そうでした、インバウンドの外国人が増加しているため、日本人全体が、道を聞かれることが増えていたことを忘れていました。自分だけが特別に道を聞かれるようなことはなかったようです。どうやらこれが正しい答えのようです。
道を聞いてきたイタリア人ですが、大変礼儀正しくて、丁寧に「ありがとう」と挨拶して去っていきました。こういう外国人の方に声をかけられると、こちらも「助けてよかった」と、すっきりした気持ちでその場を去ることができます。日本の国際的価値が大いに上がっているのは大変ありがたいことです。
趣味で、英会話教室にでも通いましょうか。。
(日豊本線からの景色は最高でした)
(首折れサバ)