大坂冬の陣

   
 

 

 故郷鹿児島に帰ってきました。まだまだ暑く湿度も高かったです。ただ東京に戻った時の暑さは、鹿児島の比ではなく、異常な暑さに面食らってしまいました。「面くらう」ですが、顔に何かをぶつけられて狼狽する様、からきていると思っていましたがそうではなく「麺棒を振ることが慌てる様子を表現する」が、語源であるようです。


 近いうちに三浦半島と鳥取城に行く予定ですが、さらに大阪城に行って、大阪の陣について調査してみたいと思っています。以前書物で読んだ大坂冬の陣は、まだ西軍諸将に勢いがあった頃で、真田丸を築き、野戦に持ち込むことの効果を知っていた真田信繁の活躍が印象的でした。西軍の意外な活躍もあってか、安易な和解をしてしまった淀君が、その後、堀を埋められなどといった策を施され、徐々に力を失っていった様が心に残っています。

 戦は終結するまで長くつづくものであり、どこを終結とみて計画を立てるのか、など考えさせられています。長い戦の中で、前哨戦の意外な勝利めいた雰囲気に、本質を見誤ってはいけないと、当時思った記憶があります。

 何が問題あるとされたから今があるのか を見定めたうえで、その問題に対しどのような戦略で臨むかが大切なのであって、目先の雰囲気にのまれてしまうと、大阪の陣のような「希望的観測」になってしまうのではないか、そんなことを考えております。

 大きな流れの中、今、時代は変化を望んでいます。今は「変化」に対して最も有効な手立てを取るべきではないかと考えて行動しております。