財政と将来不安

 台風の訪れとともに幾分暑さが和らいでいる昨今です。
 右足のハムストリングスを痛めてしまいました。初めてのことで、少し驚きましたが、ランニングできないのがちょっとつらいところです。暑い夏に大汗を書きながら走るのはとても心地いいので、残念です。

 財政や社会保障について、大改革をしなければならない と随分前から言われています。理由としては、財源不足により、増税と社会保険料の増加、結果、可処分所得の減少、消費や投資が増えず、日本の景気は良くならず、賃金も諸外国と比べると低いまま、だからということだと思います。老後の生活も、今の年金レベルを考えると、現役時代に貯蓄を増やすしかない(父の介護で、多くの預金を取り崩しましたからよくわかります)ことから、年金の少なさも消費に影響を及ぼしています。

 財源不足だから年金が減らされる、だから今のうちにせっせとためておいた方がいいという話は、15年くらい前に母から聞きました。この間、私世代のマインドは、貯蓄・貯蓄、だったと思います。私自身も、まだ所得のほとんどを貯蓄に回しています。外国車に乗っている、都心に事務所を出している から、余剰資金が多くあるのではと思われるかも知れませんが、そんなことはありません。同世代の人たちは、勤め人であっても、私のような経営者であっても、似たり寄ったりだと思います。世代にかかわらず、多くの国民の現状は、相変わらず貯蓄・貯蓄、ではないでしょうか。

 財政不均衡だから、政策経費を減らし、税金や社会保険料を多く徴収し、というのは、だれでもわかる、極めてシンプルな話です。日本は長年この議論を続けてきました。消費税は私たちの先輩たちが、今の世代を考え、安定的な財源を確保するために作った制度です。成功しました。当時の日本人は命がけで、50年先の日本の将来について考え、具体的な対処をしてきたのです。ここまではまだよかった。
 最近思うのは、理由はさておき、この先の「大きな視点での議論」が、長年展開されてこなかったのではないか?ということです。

 先日「昔の日本人は、皆必死になって、戦争で膨らんだ国の借金を返してきた、今こそ増税して、節約しなければならない」とある人が話されてきたのを聞きました。一理ありますが、古典的な意見であり、当たり前すぎて、国民に響かないのではないか、特に、現在の将来不安の中においては、と思っております。

 今必要なのは、将来安定的な生活ができ、子育てができ、それなりに余暇を楽しんで、充実した毎日を送ることができる、具体的なメニューを提示することではないでしょうか。なぜなら、財政については漠然とした将来不安を皆持っており、それを解消できそうな、将来を見通せる、現実的な根拠を求めているからです。国を動かす立場にある社会的地位の高い方々は、そんな根拠もなしに、漠然と「節約・節約」と言っているはずはないと、国民は信じ、期待しているのです。

 メニューには、入りと出の計算が必要です。家族単位なら、世帯収入と支出との具体的メニューは、ファイナンシャルプランナーが出してくれます。ただ老後に至るプランニングをするときに「将来、年金制度はどうなるかわからないので」という理由で、明快な結果を出してもらえることはほとんどないです。また今の年金制度を元にプランニングした結果、現役世代に稼いだ多くを、貯蓄に回すべき、ということになってしまいます。

 ということは、このプランニングを合計した国家全体におけるプランニングも、似たようなものになっていることは、想像に難くありません。したがって、そんなプランニングが国家レベルで議論の俎上に出なかったのではないか、と考えております。そんなものを出したら、ハレーションが起きてしまいます。


 でも、勇気をもってこの議論をしなければならない。メニューを出さなければならない。
 どういう方向性でやるのが良いのか、となると、答えは明白であって、1つ目は、この10年位行われてきましたが、財政より経済という議論を継続し、経済優先の政策を進めることだと思います。経済学者の方々の中には、日本銀行の存在意義を十分に理解しながらも、あえて、日銀と政府は同体とし、故に将来不安などない、と経済中心の議論を展開されている少数派の方々がおられますが、そのような方々の意見を大切にし、今後も、議論に、政策に組み入れていくことだと思います。そうでないと、国民の財政への関心はより遠ざかってしまい、貯蓄・貯蓄になってしまいます。何も変わりません。

 2つ目は、「経済はマインド」からなのですから、財政に関するメッセージの発信は、慎重に行うことです。

 経済的に厳しい状況下にある家庭において、進学したいけど、家族のことを考えて働きにでるという子供の心理は、十分に理解できるものです。ここでわかることは2点です。足りないのなら節約し、それでも足りないなら、働いて稼ぐ、です。

 でもそんな単純な話でいいのでしょうか。家族全員お金がないことはわかっているにもかかわらず、お父さんが、とどめを刺すように、もっと節約しなさいということは慎むべきです。お金へのメッセージは、強く行動に影響を及ぼします。他の選択肢を排除し、短絡的に、家計のために進学を断念する、で問題の本質は解決できるのでしょうか。また、将来有望な若者の選択肢を狭めてしまうことを短絡的に行っていいのでしょうか。


 3つ目ですが、お父さんは「進学したいなら別、奨学金の制度がある」という選択肢をお子さんに示すこともできるはずです。今のつけを将来の世代に回さないため、税で賄うべきという議論がありますが、財政の問題は、バブル崩壊のころからじわじわと起きてきたものであって、そのつけを、バブルの恩恵をほとんど受けていない私たち50代も負っています。これからの若い世代も、私たち世代が負ってきたのと同様に、将来何らかの負担をするのは当然のこと、よって、これ以上の財源不足解消は、国債で賄うべきという議論はあって然るべきです。将来世代において、高齢化は解消され、社会保障費の負担は減るのですから、その時に、私たち世代が背負った負担と同様の負担を、今の若い世代が負うのも、仕方がないと考えることは一理あると思います。そんな試算は、なぜか表に出てこないのです。

 常々思うことですが、国債発行のリスクを、国民的議論の中で検討したことはあるのでしょうか。現実的にいくらまでなら国債発行は耐えられるのかを示してほしい。その上で、奨学金と同様に、国債にも、仕方がないと受け入れられやすいものが必ずあるはずですから、それをメニューに載せるべきです。

 そんな本気の資料や議論を、是非見てみたい。問答無用で国債はいけないという意見はいかがなものかと思います。

 私が再び財政を研究するならば、今までの方向性とは真逆で行ってみたいと考えておりますが、そんな研究室を探すところからスタートでしょう。知る限りにおいて、ほとんどそのような研究室は無いようですが、故に、財政の議論はなかなか進化してこなかったのかも知れません。

 

 先人たちが育ててきた芽は、少しずつ成長しつつあります。


 次は、三浦半島、鹿児島、鳥取と旅行します。楽しみです。