展示潜水艦「あきしお」
呉に行ってきました。
呉といえば、旧日本海軍の「呉鎮主府」があった場所で、戦艦大和など多くの艦船が建造されたことで有名です。
なぜ呉に鎮守府が建設されたのか、また呉はどんな雰囲気を持った場所なのか、さらに今回の目的である「あきしお」の内部を見て何を感じることができるか、この3つを実際に訪問して確認したいと、長年思っていました(現場主義、現場主義・・)。
広島県のホームページによると「鎮主府の候補地を調査した肝付兼行少佐は、呉が、湾の周囲を山と島に囲まれ、背後に丘陵を持ち、敵の攻撃を防ぐうえで絶好の地であるということ、呉湾周辺は大型船にちょうど良い水面の広さや海の深さがあるということから・・選ばれた」とのことです。今回4時間ほどしか滞在できなかったので、これらの環境があるのか、深く確認はしなかったのですが、地図で見る限り、また窓の外から見える景色からも、当時の戦争形態からして、確かにそう判断したのだろうなと感じました(呉港の歴史について、その経緯を写真付きで紹介していたものを今回どこかで見ましたが、多くのかたはここに興味があるのでしょう)。
呉港には、広島市から電車で30分ほどでつきます。平日かつ雨だったこともあってか、電車は空いており人影はまばらでした。沿岸を沿うように走る電車からの海は、ぼんやりとしていて、快晴の日はきっと気持ちよく見えるのだろうにと、少し残念ではありました。ただ地方出身であり、このような地で小学生時代を過ごした私にとっては、普段の忙しさを癒すには十分な景色でした。
ちなみに、JRの呉駅改札を出たところにある案内所のスタッフはとても親切でした。
最初に大和ミュージアムに足を運びました。呉駅から歩いて5分ほどの場所にあります。
戦艦大和の巨大なレプリカを目にしたとき、真っ先に感じたのは、この船の悲しい歴史です。当時、世界最高水準の技術を集約させ完成した戦艦でしたが、大艦巨砲主義では今後の戦争は勝てなくなると多くの専門家がわかっていながら、このような巨艦を使って戦わなければならなかった、その経験は現在に活かされているのかと勝手なことを考えてしまいました。
「回天」も展示されていましたが、このような特攻潜水艦で、多くの若い命がなくなりました。
お目当ての「あきしお」ですが、ヤマトミュージアムから歩いて2分くらいの、海上自衛隊呉資
料館にあります。
アメリカの原子力潜水艦の内部動画を何度か見たことがあります。巨大なアメリカの潜水艦でさえ中は狭いと感じていたのですが、あきしおの内部は、想像していた通り、私の感覚ではかなり狭かったです。しかし、トイレやシャワーは完備され、艦長には3畳ほどの個室が与えられ、会議室もあり、訓練されれば、ここで任務を遂行できるのだろうと思いました。
ただ、操舵室を見たとき、外が全く見えない環境下で、様々な探知器を用い、艦を動かすというのは、どのような感覚になるのだろうと、これだけは、実際に経験してみないとわからないと思い、自衛隊員の、任務の特殊性を強く認識しました。
スキューバダイビングをやる私は、初めて見る脱出用救命器具に興味を持ちました。映画でこれを用い、艦外脱出に成功するシーンを見たことが有りますが、たかだか30メートルのダイビングでさえ、その深度で滞在するのは10分ほど、その後長い時間をかけ減圧しながら浮上しなければなりません。より深い深度で任務を遂行している隊員は、何か事故が起きても、このような器具はもちろんのこと、多重のバックアップシステムが存在していても、艦を信じるだけではなく、同乗している仲間を信じ、彼らと生死を共にする覚悟がなければできないと思います。そんな大変な仕事をされていると、理屈ではわかってはいたのですが、今回艦に乗って、初めて感じ入った次第です。
日本の潜水艦技術は、大東亜戦争の際に既に世界一でしたが、今でもトップレベルの水準を誇り、これが強力な抑止力となっていることは言うまでもありません。しかし相変わらずのディーゼル機関艦です。原子力潜水艦を周辺国やG7国が保有しているのに、島国である日本が保有していないことには疑問を持っています。作戦遂行能力の点でマイナスですし、静粛性や機能性などの、一部の技術が世界一であっても、やはり「大艦巨砲主義」になってはいないのだろうかと、ふと有事の事を考えてしまいます。
フィリピン軍も一緒に行動計画を進めていかなければならない時代でもあります。行動範囲は明らかに広がっているのですから、是非とも原子力潜水艦の建造を進めてほしいと思います。
最後に、ヤマトミュージアムで掲載されていた写真をのこしたいと思います。このような思いを持ちながら、お亡くなりになった英霊の皆様に、心よりお悔やみと感謝の気持ちを申し上げます。
頑張れ日本!