コロナ禍は終わった?
連休は好天に恵まれ、新幹線や航空機の乗客率も普段通りとなり、観光地もにぎわったようです。
日本中が久しぶりにコロナをほとんど意識せずに、明るく過ごせたのではないかと思います。
当家は遠出せず、近所で散歩したり飲食したりと、メンテナンスの日々となりました。暖かさのおかげか、肩腱板断裂はだいぶ回復し、可逆状態になってきたようで、痛くなっても、2日安静にしたら痛みはほぼなくなるようになりました。ゴルフのコーチからそろそろ練習をとすすめられ、パターと座学だけでも、そのうち復活する予定でいます。
ただ、この半年、筋トレががほとんどできず、運動といえば肩をかばいながらのランニングだけでしたので、こんなに薄っぺらな自分は見たことがないくらい上半身の筋肉が落ちました。今、いきなり普通の筋トレをするのはハードルが高いので、まずは柔らかいチューブなど使いながら、肩と相談しながら、徐々に体調を整えていきます。
そういえば、人間ドックの結果で、脂肪肝がなくなっていることがわかりました。
昨年のドックで不思議な値が出て、まずいと、それ以降運動を増やすことを心がけてきました。食事制限も行いました。その結果だと思います。
開業して以来、20年以上、脂肪肝を指摘され、この数年体重も増え続け、隠れメタボになっていましたが。。
主治医の先生が「脂肪肝って治るんだ?」と、うれしくて興奮している私を前に、淡々と言ってくださったのが、大変うれしかったです。
冷静な対応、誠に有難いことだと思います。
先日、新聞で「コロナの先」についてかかれた特集を読みました。
コロナ禍を総括した、良い記事だったと思います。
最近、コロナのことを忘れて、コロナの時に起きた様々なことを、何もなかったかのように、今と同じ状況下で起きたことのように、批判し、非難するのをよく目にしています。
そんな時「コロナで大変な時でしたよね、もう忘れられたのですか?」と、切り返すことが増えています。
当時、制限された中で暮らすことを余儀なくされていました。
「対面での接触が制限された中、付き合う人に、知識や経済力と言った価値を求める傾向が強まった。その結果、緩いつながりが断たれて孤立した人が増えた」という意見は、正鵠を得たものだと思います。全く同感です。
私自身、それほど力を入れていない付き合いの中で、過度に期待や出世を求める傾向を目の当たりにし、嫌になったことがありました。
人間関係のほとんどは「緩いつながり」です。それが、変に緊張感を強いられるつながりに変わったことで、面倒なそのつながりを避けるようにし、結果、孤立した人が増えたのだと思います。
また、会って話せば大したことでないことが、制限下で、SNS等を使用して、物事を処理しなければならなくなったことにより、面倒なことになったことも多々あったと思います。
ただ理解している人はいて「コロナ下で起きたことだから、すべて後からどうこう言われることは無いと判断しています」という意見を聞いたこともあり、同じ感覚を持った方もいるのだなと、救われた気がしました。
こんな日々はもう勘弁してほしい、と期待しながら、いや、人の世ですから、そうでもないのだろうなと、思ったりしています。
特に、台湾有事が起きたときなど、また同様のことが起きるのかもしれないと思います。
西欧諸国のコロナ禍への対応は、ある意味厳しいものでした。日本のように同調圧力の中、地味で持続的に、精神的負担を長く強いられるのと、コロナ禍での死者はある意味仕方ないと覚悟をきめて早くコロナとの共存へ進むのと、どちらが良かったのか、どなたか分析した結果をだしていただきたいものだと思います。
歴史的に、大陸をまたいで頻繁に紛争を繰り返してきた欧米人の死生観の方が、島国で比較的に平和であった日本人の死生観より、サバサバとしたことが原因なのかなと、私は整理しております。